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人窮すれば本に返る

                ── 『史記』 屈原賈生列伝

  「天は人の始めなり。
    こんな私を、あの空は包んでくれた」




 魔理沙 「お前っていつも楽しそうだよな。
       別に私が楽しくないわけじゃないけど」
 天子 「いきなりどうしたの?
      そりゃあ天人ですからね。楽しくないわけがないわ」
 魔理沙 「楽しむことを止められないのも辛そうだぜ。
       悲しい事が無いって、楽しい事が何かも判らなくならないか?」
 天子 「もう、回りくどいわね。
      貴方の楽しくない話、聞いてあげてもいいわよ」
 魔理沙 「いや、お前がどうして、いつも楽しいのか知りたかっただけだ。
       別に私が楽しく生きてないなんて言ってない」
 天子 「そういうの、へそ曲がりって言うのよ。
      そうねぇ、私もいつだって楽しかったわけじゃないわ。
      どうしても辛いとき、どうにもならない事は沢山あった。
      でも、一つだけ揺るぎの無いものがあったの。
      人窮すれば本に返る。そういうものよ」
 魔理沙 「お前の揺るぎの無いもの?」
 天子 「天よ」
 魔理沙 「あー?」
 天子 「貴方にも、そんなものがきっとあるはず」
 魔理沙 「……私なら天ぷらにして丸ごと食べる。
       あー、聞いた私が馬鹿だったぜ。それじゃあな」

 天子 「行っちゃった。本当に素直じゃないわねぇ。
      そう、色々あってこその地上なの。
      楽しい事しかないと、何が楽しい事か判らなくなる。
      それを気づかせてくれたのは、貴方たちなのよ」



天は人の始め、父母は人の本という。
人は追い詰められたとき、自分を生んだ者の懐に立ち返る。
疲れ果てたとき、誰でも天を仰ぎたくなるし、
悲痛が極まったとき、誰でも父母の名を呼びたくなる。

                  ── 『史記』 屈原賈生列伝