|
鼎の軽重を問う
── 『史記』 楚世家
「徳衰うといえども天命改まらず。
これを魔力というのかしら」
|
霖之助 「おや、その剣が気に入ったのかい」
天子 「でも非売品でしょ」
霖之助 「もちろんさ。その霧雨の剣は僕の力の象徴。
本当は霖雨の剣にしたかったが、発見者が魔理沙だからね。
一応気を遣って霧雨の剣と名付けた」
天子 「この剣のある場所は、常に雲が湧き上がるとか」
霖之助 「名前を変えたからね。性質も変わるさ。
この剣は雨を呼ぶ。迷いの森の湿度が高い理由さ」
天子 「神話的ねぇ。でもどうしてこの剣が幻想郷に……」
霖之助 「……君は、この剣の正体を知っているね?
この剣が外の世界で必要とされなくなったことは確かだ。
しかし、それはこの剣の所有者が徳を失ったからではない。
この剣がなくとも、力が約束されるようになったんだ」
天子 「天命改まらず。新しい魔法が見つかったのね。
そして剣は名前を変えて、貴方の店の魔法となった」
霖之助 「僕の店はまだ、鼎の軽重を問われる謂れはないよ」
天子 「私の剣とどっちが重いのかしらねぇ」
|
|
周王室には、ある鼎が伝えられていた。
その鼎は殷王朝から周王朝へと受け継がれ、王位の象徴となっていた。
しかし春秋時代に入り、周王室の権威は次第に薄れていった。
そして、やがてその権威を真っ向から疑うものが現れる。
楚の荘王は、勢力を広げて周と対抗した。
周の定王は、王孫満を使者として楚に遣わし、会見した。
会見において、荘王は周王室に伝わる鼎の軽重を問うた。
その鼎の特徴に興味を示すことは、
楚が鼎を受け継ぐ意志があることを意味していた。
王孫満は毅然として言った。
「鼎自体の軽重は問題ではない。
鼎の軽重は所有者の徳次第で決まるのだ。
周の徳は失われたといえど、天命は改まっていない。
まだ鼎の軽重を問われるいわれはない」
── 『史記』 楚世家
|
|