Radical   Discovery 



  
明鏡止水

                       ── 『荘子』 徳充符

  「流れる水は鏡にならぬ。
    泳げるお前には、何が見える?」




 布都 「むむ、おぬしは」
 天子 「山では見かけない顔ね……神社の方かしら?」
 布都 「この清濁無き魂の臭いは……
      おぬしも、尸解仙だな……?」
 天子 「えっ?」
 布都 「これほどの仙者が、まだ在野にあったとは!
      是非とも仙界でともに、太子様と学を深めて頂きたい」
 天子 「ちょっとちょっと、何の話?
      私は仙人じゃなくて──」
 布都 「ご謙遜なさるな。
      それとも、おぬしはまだ尸解には至っていないのか?
      亡霊は志薄く、道冥し。 我が導いて差し上げよう」
 天子 「ふうん──亡霊もあんたも、同じじゃないの?」
 布都 「なんと、たわけ言を!
      亡霊に成し得ることなど一つも無い!」

 天子 「亡霊と何かあったのかしら……。 良い?
      流れる水は鏡にならず、静止した水は一切の姿を映し出す。
      何事にも動かされない心こそが、人の正しい天性よ。
      そこに亡霊と仙人の差異は無く、人間と妖怪の違いも無い。
      むしろ尸解仙よりも、肉体を仮の宿と認めた
      亡霊の方が理想的な天性を得ていると思わない?
      自己を理解した亡霊がいるなら、それこそ明鏡止水ね」
 布都 「おぬし、よもや亡霊か……?」
 天子 「いやいや、足あるでしょ」
 布都 「しかし、ただ者ではないな……」
 天子 「高いわよ。とってもね」



 王駘(オウタイ)という人物は、足切りの刑を受けた欠損者であった。
彼は何を議論するでもなく、何を指導するでもないのに、
彼のもとには孔子にも劣らぬほどの弟子が居た。
 これを不審に思った孔子の弟子、常季は孔子に尋ねた。
「王駘は、とても博学な人物には思えません。
あのような刑罰を受けた人間が、どのように優れているのですか」
 孔子は言った。
「流れる水は鏡にならぬ。しかし、静止した水は一切を映し出す。
王駘は、静止した水のような人物なのだ。
人が、己の姿を確かめるときに鏡を覗くとしたら、
流れる水よりも、静止した水を選ぶだろう」

                    ── 『荘子』 徳充符


 足切りの刑を受けた申徒嘉(シントカ)と、
宰相の地位にある子産(シサン)は、同じ師匠のもとで学んでいた。
 ある時、子産が申徒嘉に尋ねた。
「君は宰相である私を見ても、何の遠慮もしない。
君は、自分を宰相と同等の人物だと思っているのか?」
 申徒嘉は言った。
「よく磨かれた鏡は、ほこりを寄せつけません。
ほこりが付いたのなら、それは錆びた証拠です。
鏡にほこりが付くと、物事がはっきりと見えなくなる。
立派な人と暮らせば、鏡は磨かれていくはずです。
さて、いま私と貴方は、先生のもとで学んでいます。
先生の前では、私と貴方の立場は同じはずです。
そこに宰相という地位は関係しているのでしょうか」

                    ── 『荘子』 徳充符