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大道廃れて仁義あり
── 『老子』 第十八章
「慧知出でて大偽あり。
その驕りが人を本性から遠ざける」
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慧音 「ちょっと、貴方にお聞きしたいことがある」
天子 「しーっ、今いいところなんだから」
慧音 「うん? あれは魔理沙か」
天子 「今度こそ、盗みの現行犯逮捕をしようと思って」
慧音 「ああ、ちょうど聞きたいのはそういうことだ。
貴方なら、短い返答で真理が返ってきそうでな」
天子 「ちょっと、気づかれちゃうって」
慧音 「『盗み』は教育で治るか?」
天子 「……そりゃ治るけど、そういう返事が欲しいわけじゃなさそうね」
慧音 「道徳の教育は必要か?」
天子 「ふんふん、そういう話ね。
大道廃れて仁義ありよ。そもそも大道という理想的な世界なら、
道徳みたいな強制的なものはなくても大丈夫なはず。
逆に道徳が騒がれるのは、大道が無視されているからよ」
慧音 「無何有は……自然とは、教育を否定するものなのか?」
天子 「うーん……おーい、魔理沙ー!」
慧音 「あ、ちょっと」
魔理沙 「あ? あ、ああ、これはこれは」
天子 「何してるの?」
魔理沙 「ん、ああ。塀の改修だぜ。私はなんでも屋だからな」
天子 「これが悪知恵よ。教育は教育で返さなきゃ」
慧音 「なるほど、これはしっかり教育せねばならんな」
魔理沙 「え、ちょっと、おい、やめろ、ああ!」
天子 「あるがままでいることは好き勝手することじゃない。
教育は作為的に理想を近づけるけど、それは押しつけでしかない。
無為自然の理想にあれば、それは自ずから聖人になる。
でも、それに気づくためにも教育は必要なのかもしれない。
ま、私には関係ないし、土台無理な話よねー」
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仁義があるのは、道理が廃れてからだ。
虚偽をするのは、知恵が出てからだ。
孝行が喜ばれるのは、情愛が失われてからだ。
忠臣が生まれるのは、国家が乱れてからだ。
── 『老子』 第十八章
知恵を捨てれば、民の利益は百倍になるだろう。
仁義を捨てれば、民は孝行に戻るだろう。
功利を捨てれば、盗賊にはならないだろう。
── 『老子』 第十九章
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