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大功は拙なるが如し

                    ── 『老子』 第四十五章

  「大功は拙なるが如し。
    老獪と純粋は、遠くに見えて近いもの」




 天子 「どうもこんにちは」
 霖之助 「いらっしゃい。丁度良いところに来たね。
       こいつを見てくれ。新商品なんだけど、どう思う?」
 天子 「これはまた……一体何を表現しているの?」
 霖之助 「僕の能力は、この絵画の名前が『ゲルニカ』であると伝えている。
       でも、僕にはこれを描こうとした作者の意図が良く判らないよ。
       破綻した構図、細切れの人物たち、描き殴りの主線、
       これを本当に絵画と呼んで良いものなのだろうか」
 天子 「たしかに、なかなかぶっ飛んだ構造ね」
 霖之助 「それなのに、この絵からはとてつもない魔力を感じるんだ。
       それも、痛みや苦しみといった黒い魔力を」

 天子大功は拙なるが如し。
      真に素晴らしいものは拙く見えるものよ。
      この直接訴えかけてくる何かが、その本質じゃないの」
 霖之助 「ふむ、この名前がアナグラムだとすると『カゲルニ』、
       つまり「陰る」を表す。そして、この上部の絵は太陽だろう。
       この絵が表すものは、影から太陽を望む人々……。
       これはきっと、歴史の闇を描いたんだよ」
 天子 「それ、ほんとなの……?」
 霖之助 「君の言葉には続きがある。
       大功は拙なるが如し、大弁は訥なるが如し。
       真に迫った言葉は、ぎこちなく聞こえるものさ」
 天子 「……全ての真実は、作為を捨てた先にある。
      物事の本質を捉えるに、余計な意識は必要無い。
      貴方の拙なる姿勢は、無何有の真実なのかもね」



真に巧妙なものは拙く見える。
真の雄弁は訥弁に聞こえる。

                       ── 『老子』 第四十五章