Radical   Discovery 



  
坐忘

                    ── 『荘子』大宗師

  「坐して全てを忘れよ。
    道を得ようとするうちは未熟なものよ」




 神子 「あー、そこの君」
 天子 「……私?」
 神子 「君しかいないよ。どうだい、修行は進んでいるかな?」
 天子 「一体何のこと?」
 神子 「なに、布都から君も同志だと聞いたからね。
     『道』の働きは、もう見えてきたかな?」
 天子 「そういう事なら神社に行ってよね。
     それから、何度も言ってるけど私は道士じゃないよ。
     私は笑いたいときに笑うし、泣きたいときに泣いちゃうわ。
     損することはしないし、得することには飛びつく。
     これでも『道』は受け入れられるかしら?」
 神子 「いや素晴らしい。それこそが無為自然だよ」
 天子 「だから神社に行ってよね。
     霊夢なら……そう、私とは根本的に違うわ。
     あの子は坐忘ができる」
 神子 「坐忘だって?」
 天子 「私はそれが楽しくないの。
     私に『道』なんて判るはずがないわけよ。
     さあ、帰った帰った」



顔回が孔子に言った。
「私の修行も、随分進んだように思います」
「何故そう言えるのだ?」
「私は、仁義を忘れることができました」
「なるほど、それは良いことだが、まだまだだね」

他日、顔回は再び孔子に言った。
「私は、礼楽を忘れることができました」
「よろしい、だがまだ十分とは言えぬ」

他日、顔回はみたび孔子に言った。
「私は、坐忘をすることができました」
「坐忘とは何だね?」
孔子が改まって問い返すと、顔回は答えた。
「五体から力を抜き、五感をなくし、
 身も心もうつろに『道』の全てを受け入れることです」
孔子は大きく頷いた。
「『道』を受け入れれば、是非好悪の念にとらわれることなく、
 『道』とともに変化して無限の自由を獲得できるだろう。
 さすがは顔回だ。私も遅れをとってはおれまいな」

                   ── 『荘子』大宗師