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何の常師かこれ有らん
── 『論語』 子張
「夫子焉にか学ばざらん。
道を示した彼は、億兆の師となった」
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永琳 「あら、こんなところで」
天子 「あ……里で興行もしてるのね」
永琳 「サーカスじゃあるまいに。
まあ、あの子に地獄の日の輪くぐりをさせても楽しいかも」
天子 「地下に潜るのはネズミの仕事ね。
それよりも、先日はどうもお世話になりました」
永琳 「まあ、ね。要石を神社に埋めたまでは良かったけど、
ちょっと派手に動きすぎたようね」
天子 「落成式、楽しかったのになぁ。
それにしても、流石は思兼を背負うだけあるわね。
要石の定期管理のために式年造替を提案するなんて、
貴方の千慮、月にさぞ良い師がいたのでしょう」
永琳 「師だなんて、判っているでしょうに。
夫子焉にか学ばざらん、而して亦た何の常師かこれ有らん。
賢者は大道を知り、愚者は小道を知っている。
つまり、あらゆるものは真理に通じている。
誰を師と仰ぐこともなく、誰をも師とするのが、
中道を行くというものではないかしら」
天子 「それにしては、おたくのお弟子さんは随分と……」
永琳 「あの子は最もよく中道を行くものですよ」
天子 「それは貴方が、真理そのものだから?」
永琳 「狂気は有無さえ滅する。
あの子なら地獄の太陽も怖れないでしょう」
天子 「とんだ師匠ねぇ」
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衛の公孫朝が子貢に質問した。
「仲尼(孔子)は誰を師として学んだのか」
子貢が言った。
「文王・武王の王道は、いまだ廃れず、人に受け継がれています。
賢者はその大道を知っており、愚者もまた小道を知っています。
文王・武王の道は、どこにでも残っています。
先生は誰からでも、何かを学ぼうとしました。
特定の人を師としたわけではありません」
── 『論語』 子張
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