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上善は水の如し

                     ── 『老子』 第八章

  「水は方円の器に従う。
    だから鏡となって一切を映すのよ」




 妖夢 「天人様、今日は教えて頂きたいことがあるのです」
 天子 「あら、今日は桃じゃないのね」
 妖夢 「さすがに幽々子様も桃は食べ飽きました。
      最高のゼンとは、どのようなものですか?」
 天子 「最高のゼン?」
 妖夢 「いま幽々子様が私に求めているものです。
      ゼンとは何でしょう。私は何をすれば良いのですか。
      故事に詳しい天人様なら、何か判ると思って……」
 天子 「また難しい事を聞くのね。
      ふふふ、私が故事に詳しいなんて有名になったものね。
      でもねー、善なんて自分で決められるものじゃないのよ」
 妖夢 「はぁ、と言いますと」
 天子 「貴方が善であることを意識すればするほど、
      それは偽善になるし、独善になるかもしれないでしょう。
      善は他者の認識だから、貴方はありのままで居ればいいの」
 妖夢 「何だかよく判りませんね」
 天子 「善とは水のようなものよ。
      ただそこに存在して、恵みをもたらし、万物を育む。
      ときに荒々しく流動し、自在に姿を変える。
      流れる水のような、雲のような人になりなさい」
 妖夢 「それで、最高のゼンが見つかるのですか?」
 天子 「多分、判るんじゃない?
      神社の巫女とか、参考になりそうだけどね」
 妖夢 「霊夢が?
      あの人はまともな食事を取ってないと聞いたけど」
 天子 「ん?」
 妖夢 「幽々子様を満足させられるものは用意できないでしょう」
 天子 「あ、ああ……最高のゼンね。
      いや、あるわ。最高の膳は水なのよ。
      神社には御神酒があるじゃない」



最高の善とは水の如きものをいう。
水は万物を助けて、しかも争わない。
誰もが嫌う低い場所へと流れて、そこにおさまる。
水の流れのように自由な者は、何にもとらわれずに生きられる。
故に、水は「道」に近い。

                  ── 『老子』 第八章